日本滞在中の様子

日本滞在記 代表より

夢が私に与えてくれたもの  ララ・ジャビャ

JFCにとって、多くの初めての経験を一緒に体験した旅。初めて飛行機に乗ったり、初めて海外に出たり、初めて日本を訪れたり、初めて長い間母と離れたり、初めてお好み焼きを食べたり
彼らにとって初めての経験に、私は彼らと同じように感激しました。初めての子どもの成長を喜ぶ母のように、私は彼らの多くの「初めて」にとても嬉しく思いました。彼らは何度も私に、「お姉ちゃん、私をつねって!私は確かめたいの。私は起きていて、これが夢でないことを。まだ信じられない私が日本にいることを!」彼らはとても喜びに満ち、溢れる程の喜びに影響されていました。JFYの前向きな志は、JFCのエネルギーでさえも高いレベルに持ち上げてくれました。私は彼らのあんな嬉しそうな姿を見た事がありません。今回、彼らの違う面を見たような気がしました。短い滞在にも関わらず、彼らはすでに「いただきます」などの簡単な日本語や、おじぎの方法までも習得することが出来ました。彼らは皆これから、新しいことに挑戦する勇気を持ち、異なる人々に出会った時も、決して恥ずかしがることはなく対応だろうと思います。
今回のスタディーツアーの最終目的は、JFCに多くの初めての日本文化を経験する機会を提供し、日本の生活を少し垣間見ることでした。JFYの家庭のホームステイのみなさんは、とても寛大で助けられました。もちろんJFCは、日本の新製品や化学技術にとても驚いていました。例えば、日本のトイレでは、ボタンひとつで…! という驚き、「トイレは友達」というキャッチフレーズが出来るくらい、快適できれいなトイレが多いのには驚きでした。また、彼らはホストファミリーのみなさんの温かい歓迎にとても感動しました。日本人は、血縁以外の人々と距離を置くイメージがあったが、全く違い、ホストファミリーやJFYの兄弟姉妹、彼らのお父さん・お母さん、新しい日本人の友達の親切心や、愛に触れられました。また、それらはJFCにとって母国にいるような感覚を与えてもらえた12日間であったと思います。
さらに、日本の生活を見た事は、彼らに多くのことを気付かせたでしょう。日本の歴史について学ぶことや、彼らが第二次世界大戦中にしたこと・されたことや、またどれ程日本が現在に至るまでそれらを考えてきたかを考え、またある人は生活が苦しいにも関わらず、声を上げこれらは、日本人が示した強さであると思います。それはJFCである彼らのなかにもある強さです。しかし、その強さに加えて、父親不在の中、彼らの母親たちの努力もまた、彼らに影響を与えているのです。
日本への旅は、アイサンやアキオ、ケン、ユキエ、ケイスケにとって夢のような時でした。また、それらは他のBatis-YOGHIのメンバーにとっても共通の夢です。彼ら自身のより良い夢を創り続けるための大志を、そしてより良い自分自身の理解や、生活していく中で持つ正しい認識を持つことが、この夢の実現となります。それゆえ、私たちは進み続け、私たちのJFCは夢を見続けるのです。
今回のことは、自分の夢の実現の始まりに過ぎないのだと思います。

日本滞在記⑤ 夢が叶った ~アイサン・アンテザ~


日本に旅行に行くという私にとっての夢が本当に叶いまし た。
最初、ララさんが私たちに日本に行ける可能性があると言ったとき、もしそれがかなわなかったときにがっかりしたくなかったので、あまり期待しませんでした。しかし、ついに日本へ旅行にいくことが決定したとき、私 は飛び上がるほどうれしかったです。その日から、私はスタディーツアーの日までのカウントダ ウンをし続けました。日が過ぎていくなか、私の興奮は高まり、幸せすぎ 心臓が破裂してしまうのではないかと思うほどでした。「日本人である」という私のもう一つのアイデンティティの文化について見ること、経 験すること、学べることがとても楽しみでした。
2010721PR432便。ついにきました!この日の私の感情を説明することはとてもできません。たくさんの「初めて」がこの日に起こりました。初めて飛行機に乗り、初めて海外に 行き、初めて父の故郷である日本の地を踏みしめました。飛行機が着陸する瞬間、涙がこぼれました。私が泣いたのは家から離れてしまったからではなく、日本に来ることができた幸せを心に留めきれなかったからです。
二晩、梅津さん一家のお宅に泊めてもらいました。最初、私は家の中を歩きまわることさえ緊張し、臆病になっていました。何かものを壊してしまうかもしれないし、間違ったことをしてしまうかもしれない、そして 梅津のママに怒られてしまうかもしれない、と心配していました。でも、梅津さんがとても温かく迎えてくれたので、こうした私の不安はすべてどこかに行ってし いました。
彼らはみんな、私のことを家族の一員として扱ってくれました。初めて、しかもほんの短時間の間に、私は梅津のパパから父親のような愛を感じました。彼が言っていることはわからなかったけれど、彼の行動から私を気遣ってくれて ることが分かりました。彼らのもてなしのおかげで、家から遠く離れているさみしさを感じることはありませ んでした。
東京にいる間、秋葉原や浅草を訪れ、お寺やカラオケに行きました。JFYたちと一緒にいることはとても楽し かったです。東京にいると、日本がどれだけ忙しい国なのかきっとわかるでしょう。どこを見ても、次の電車に乗ろうとしていたり、次の会議に向かうため歩いて いたり、人々はいつも急いでいるように見えました。JFYたちは日本人にとって、時間どおりに行動することはとても大事なことだと、教 えてくれました。もし遅刻してしまったら、彼らにとっては大きな恥になり得ます。
JFYたちと猪 苗代湖でサマーキャンプに参加したことも忘れられない思い出です。ハイキングに行って五色湖を見ました。冷たくて、きれいな空気の中でリラックスできました。キャンプ中に、平和を達成するためにはコミュニケーションが大きな役割を果たすこと を学びました。誤解が生じたとき、紛争や争いが起こります。平和は私たち自身の中から始めなければならず、その後、ほかの人と分かち合うことがで きます。しかしこれらすべては、生活の中心に神さまがいれば可能になるでしょう。
今回の日本スタディーツアーは、いろいろな場所を見てまわることができただけではありませんでした。日本について、その歴史、文化、日本人の生き方を知ることができました。しかし、さらに大事なことは、私たち自身についてより知ることができたということです。

日本滞在記④ 僕の誓い ~田上圭介~

 

まずはじめに、日本に行く機会を与えてくれたバティスセンター、バティスヨギ、葛西カトリック教会に感謝の気持ちを述べたいとおもいます。もう一度行ければいいな、と思っています。スタディーツアーは僕にたくさんのことを気づかせてくれました。日本に住みたいという僕の願いも確かなものになりまし た。しかし、そんなに簡単なことではないことはわかっています。日本語を勉強し、学校を卒業し、そこでの生活のために準備をしなければなりません。もっと長く、日本の文化に触れてみたいと思っています。僕たちは色んな面白い場所に行きました。一番印象に残っているのは、福島県の白虎隊が自殺をした場所です。白虎隊は若い侍の集団で、 彼らは城が燃やされ、将軍や家族が死んだという絶望の中自殺をしました。しかし、それは彼らの間違いだったのです!ですが気づいたころはもう遅く、彼らはもう死んでしまっていて、生きていたのはたった一人だけでした。彼らの将軍と家族に対する忠誠を想像してみてください。彼らは、敵の言いなりになるより死を選んだのです。
 

福島だけではなく、東京、京都、神戸、大阪にも行きました。もちろん、ショッピングセンターにも連れて行ってもらいました。僕たちの恩人の寛容さがなければ、日本で買い物をするという経験はなかったでしょう。値段はものすごく高かったです。たくさんの店がセールをしていて本当によかったです!
東京では秋葉原と浅草が忘れられません。カオル、ヒロキ、エミ、ケイコと一緒に行きました。私たちは歩き回って、新しいものをみて、初めての経験をすることを楽しみました。カラオケにもいって、歌を歌ってみんなで楽しむこともできました。
 日本で出会った人はすべて、僕の心の大切な場所にいます。でも一番身近に感じられて一番尊敬しているのは、オオバ兄弟です。僕は2日間、オオバ一家と過ごしました。彼らはみんな、まるで僕が本当の兄弟かのように接してくれました。ユウキお兄さんはとても優しく広い心を持っていました。彼は僕がビニールを開く とができなかったおにぎりをくれました。僕はおにぎりのビニールを開けようと必死に挑戦したのですが、ヒロキが手伝ってくれて、開けることができました。またマサキお兄さんは、JFYのよきリーダーでした。彼らのお母さんが風邪をひいたとき、彼らのお母さんに対する愛情と気遣いはとても暖かいものでした。彼らを知れたことを僕はとても誇りに思います。
 僕がすごく関心したことは、彼らの時間と規律に対する価値観です。僕はエスカレーターで彼らが片方に並び、急いでいる人は先に行けるようにしているのを見て驚きました。また、日本は環境がとてもきれいでした。
 このスタディーツアーの後、日本に戻るときにもっと物事が楽になるだろうと思い、僕は日本語をコツコツと勉強することを誓いました。また、YOGHIのほかのメンバーにも、日本語で少し知っていることや、この旅で得たことを少しでも教えてあげようと思います。僕は、自分自身のよりよい未来 とほかのYOGHIメンバーを助けられるようになるために一生懸命努力します。


日本滞在記③ 人生を変える旅 ~ケネス・ティング バン~


福島僕はいつも福島を夢にみるでしょう。堂々とした日の出とさわやかな湖の景色もとても印象的だけど、それよりもJFCの兄弟たちと一緒にいたということが福島での一番の思い出です。彼らと共に過ごした日々は本当にかけがえのない思い出で、僕の人生で一番幸せなひとときの一部になりました。もちろんJFYたちが家を“ホーンテ ッド・ハウス”に変えたのは一生忘れないでしょう。あんなに私たちを魅了させるお化けは、そこでしか見れません!!CarminaFayeの二人は、いままで僕が見た中で一番きれいなお化けでした。
でも本当に、僕にとってあの場にいたみんなと友達になれたことはとても特別なことです。

大阪・・・大阪のこともいつも思い出すでしょう。シスターたちが絶賛していた滝を見るために坂を登っていくのはとても疲れました。長い道のりでしたが、それだけの価値がありました。ちょっと秘密を言うので、だれにも広めないでください。あれは今では人工の滝と言われていますが、誰が気にするでしょう?あの滝を見て、僕の疲れは一気に吹き飛びました。
神戸・・・あんなに綺麗でいい状態で保存された大学は他にどこで見つかるでしょうか?神戸学院大学をみて僕はほんとうに驚きました!生徒たちにもです!もちろん、HikaruMaimie
葛西・・・僕たちを優しく迎え入れてくれてありがとうございます。僕たちを抱きしめてくれてありがとうございます。あなたたちは本当に、僕たちに良くしてくれました。僕たちはJFYと違う言葉を話すかもしれないけれど、そんなことはお互いが通じあうことの障害にはならなかったのです。あなたたちは結束っていうものが何かを僕に教えてくれました。違いはあったけれ ども、僕たちの中にある共通の部分で通じ合うことができました。
 
ほかの人々を助けるためにもっともっと一生懸命努力しなければならないと思いました。 ありがとう、ありがとう。この旅行で多くのことを学べたことに感謝します。
日本・・・僕の生涯の中でもっとも大きな夢が実現しました。前はただ、日本に行きたいと願うだけでしたが、今、その夢がかないました。前は日本は悪い人でいっぱいの国だと思っていました。戦争の記憶や、僕のお母さんたちの日本での経験からこう考えるようになっていました。でも、それは間違いだったと気づきした。僕たちを助けてくれる日本人がたくさんいます。僕はこのことに気づいてからもっと良い人間になれたと思います。
家族やそのほかの人々を助けるためにもっともっと一生懸命努力しなければならないと思いました。

ありがとう、ありがとう。この旅行で多くのことを学べたことに感謝します。


日本滞在記② 日本発見 ~アキエ・イトウ~


日本でのスタディーツアーは感激するものでした!日本でしたこと、見たこと、経験したこと全て楽しみました。
一番忘れられない出来事はサマーキャンプです。何故ならそこで他のJFYと出会うことが出来たからです。一緒に過ごした時間を通して、彼らの生き方を知ることができました。JFYJFCはいろいろな面で似ているところがあると思います。彼らはとてもフレンドリーでもあります。違う言語を話すのにも関らず、私たちはお互いにコミュニケーションを取り、理解し合えたことは驚きでした。サマーキャンプで私たちは平和を学んだだけでなく、絆を生み友情を育みました。
私たちが訪れた場所もとてもよかったです。大阪では、みんな本当に親切でした。大阪大学の学生は、私たちを温かく迎えてくれました。少ししか話をしていないに関らず、私は私たちは前から知っているかのように感じました。
また、私は長い間存在している神社やお寺がある京都も大好きです。神戸学院も建物がよく出来ており、素晴らしい観光名所だと思いました。私たちが行ったミュージアムもまた、素敵な場所でした。インスタントラーメンのミュージアムでは、私の大好きなシーフードカップヌードルの作り方を学びました。大阪平和ミュージアムでは、第二次世界大戦中の日本と他の国に起こったことを知ることが出来ました。そこで私は戦争は無実の子供や家族の命を奪うだけで、何も良いものをもたらさないので、私たちが平和に向けて動き始めないといけないという事に気づきました。私は父が東京に住んでいると知ってから、東京が私が訪れた場所の中で一番好きな場所となりました。そして私は東京の人がすごく忙しそうにしているのを見て、東京の生活は日本の他の場所とは違うのだと考えました。
ホームステイも忘れられません。私はフィリピンの家族が日本でどのようにして暮らしているか経験できました。オカンポス家族はとても優しく、私に家族の一員として接してくれ、私は彼らが大好きです。
旅の全てが最高でした!スケジュールはとてもきつきつでしたが、楽しめたので良かったです。日本で私は時間通りに動くことを学びました。なのでフィリピンに帰った今でも、私は時間通りに動くことを心がけてます。次に私は日本人がとてもフレンドリーということを知れました。こんにちはと声をかければ、こんにちは、と必ず返してくれるのです。私はもう日本にはいないけれど、幸せな気持ちになれるので友達や先生、知っている人には挨拶します。
この旅は私を変えてくれました。良い方向に変えてくれたと思います。他のJFCも私と同じ体験をしてくれているといいなと思います。私がこの旅で得たものは多すぎてすべて書くことはできません。しかしただ1つだけ確かなことは、このスタディーツアーに参加できて、すごく幸せだということです。またすぐに会えることを願っています!


日本滞在記① 自分再発見 ~アキオ・ティバイ~

もし私が日本での旅行で覚えていることを3つ聞かれたら、訪れた場所、出会った日本の人々、そしてJFYの仲間たちと答えるでしょう。日本での短い滞在期間の中で私たちは東京、福島、大阪、京都、神戸といったたくさんの場所を訪れることができました。私は大阪にいるときが一番楽しくかったです。それは大阪が私の父の故郷だからです。私たちが会えなかったとしても、いつか必ず彼に会えるときがやってくると確信しています。私たちは大阪で4日間過ごしました。そこで私たちは箕面にある美しい滝を見たり、大阪学院の気さくな学生たちと交流したり、面白いインスタントラーメンのミュージアムを訪れたり、大阪平和ミュージアムから多くの歴史的事実について学んだり、大阪城を背景に写真撮影したり、カトリック教の大聖堂のツアーを通してフィリピンに逃亡した日本人、高山右近のことを初めて知ったり、道頓堀のレストランでお好み焼きを満喫したり、箕面の聖母被昇天修道会での宿泊を楽しんだりしました。
私は修道会のシスターから受けた暖かい歓迎を忘れることはないでしょう。彼女たちは私たちを自分の家にいるような気持ちにさせてくれ、私たちがいつも居心地がよく、お腹がすかないようにしてくれました。私は、大阪で辛抱強く私たちに同行し、まちで一番のお好み焼き屋をおごってくれたTita Yolandaのこと、色んなところでフィリピン人にそっくりな津田マモル教授のことは、いつも思い出します。また、私たちと一緒に箕面滝まで登ってくれたSr. Claire Joにも感謝しています。道のりはとても長かったですが、シスターのお話のおかげでそんなことは感じませんでした。大阪のほかの場所は神戸学院大学の学生、ヨシカワヒカルとサカグチマミエと一緒に楽しみました。彼らと回るのは、本当に楽しかったです。彼らは、私たちのどのミーティングにも遅刻したことがなく、日本人はいつも時間を守るということを示してくれました。私たちは、彼らのような若い人たちのレンズを通して日本を知ることができました。もちろん、これらすべては私たちが日本を経験するために色々としてくれたSr. Remy Locsinがいなければ実現しませんでした。

この旅で、私は自分自身をもっと愛すること、私がもつアイデンティティを誇りに思うことを学びました。また、この旅で私の両親の母国、フィリピンと日本の両方をよく理解できるようになりました。
私はこのスタディーツアープログラムの強みは、関西カトリック教会のJFYとの交流だと思います。個人的には、JFYとその家族の温かみ、親切さ、寛容さを経験しました。お互いに助け合い、相手を家族として扱うコミュニティーの一員になることは心地よかったです。彼らから学んだことは本当にたくさんあります。
私がこの旅で変わったかと聞かれたら、答えは「はい」です。私は出会ったすべての仲間たちに強く心動かされました。彼らと出会えたことをうれしく思い、将来またどこかで会えたら、と願っています。彼らは私の人生の一部です。彼らからもらった知恵と助言はすべて大切に心にしまっておきます。私は以前とは変わって人生が私に与えることに前向きになってフィリピンに戻り、より大胆に、そしてこれからの困難に対する準備ができています。